十二国記「丕緒の鳥」感想





丕緒の鳥 十二国記 (新潮文庫)













丕緒の鳥」の月並みな感想。(ネタバレ含みます。)

丕緒の鳥」と「落照の獄」はyom yom 掲載時に読んだので省略。

丕緒の鳥」の方は、慶国の新王即位で、辛いながらも希望のある結末。

「落照の獄」の方は、傾き始めた柳国の話で、暗い結末。






「青条の蘭」



今回書き下ろしの一つ。

これもなかなか辛いお話。

物語の舞台がどの国なのか判明せず、それ故に、終盤まで結末が読めない構成も、なかなかに憎い。



(「玄英宮」という文字が出てくるから、雁国の話?)



主人公・標仲は、結局、自分の手で青条の入った笈筺を王の下へ届ける事が出来なかった。

その悔しさ、何度も悪夢にうなされる様は、読んでいて本当に辛い。

詳しい事情も知らず、ただ標仲の必死な様に突き動かされ、国が救われると信じ、

笈筺をリレーした人々に、少し胸が熱くなります。



木が石化する奇病の薬を共に探し、栽培法を研究した包荒と興慶の思い。

標仲の道中を助けてくれた、家族も里も失いながら必死に生きる人々の姿。

国を、民を、故郷の人々、そして山を思う、標仲の必死で真っ直ぐな思い。



日々自分や家族の事だけで精一杯な現実の自分達の生活を思うと、

標仲の生き様は胸に突き刺さるような気がする。

真摯に国や民を思い、自分の職分を全うしようとする、そういう生き方が自分にできるだろうか?

十二国記の物語は、読んでいると、時折そうした疑問を投げかけてくる。



十二国記のシリーズも久しぶりに読むので、設定をいくつか忘れている所があったり。(汗)

標仲は仙だから、不老なんだろうけど、病気や怪我はするのか?死に至る事はない?

それでも疲労や痛みは感じるし、無理な長旅を続けられる程超人的な体力がある訳じゃ無いんだな・・・。



笈筺をリレーした人々も、自分達が運んだ物が何だったのか、知る事も無いだろうし、

知った所で、山毛欅の奇病を治すこの植物に、どれだけ重要な意味があるのかは、

理解されないんだろうな。

それは標仲が山毛欅の奇病の危険性を説いても誰にも理解されなかったのと同じで。



標仲はその後、どうなったのか?

彼のお陰で多くの山毛欅が、山が、里が、そして人々が救われた事を理解する人は、

きっと殆ど居ないだろうし、標仲の功績が認められ賞賛される事も、

もしかしたら無いのかもしれない。

それでも、これからも山を守る仕事を続けるだろ。

これは人知れず国を救った男達のドラマ、なのかもしれない。



この十二国の世界には、標仲のような人がどの国にも居て、それぞれのドラマがあって、

各国の王達は、そんな人々の思いを背負っていくのだと思う。

本編にあたる陽子達の物語の続きも気になるけど、

丕緒の鳥」「落照の獄」「青条の蘭」と、これらの番外編の中で、

この世界で王と殆ど関わりがない所で生きる人々のドラマが、あまりにも重すぎて、

陽子が背負っている物、王として責務が恐ろしく重大に思えてくる。




「風信」



嘉慶達は、現代で言うと学者や研究者かな。

蓮花は「これが世界なの!」と言い、彼らが研究に夢中になり、世の中を見ていないと、

痛烈に批判する。

しかし、これは仕方の無い事のように思えるし、

この事件で、嘉慶達も現実を思い知らされたのかもしれない。



辛い思いをしてきた蓮花からみたら、浮き世離れした変わり者の嘉慶達は、

腹立たしいだろうな。



「落照の獄」が、丁度裁判員制度が始まり話題になった頃に発表されたように、

この「風信」も、東日本大震災を切っ掛けに書かれたのかな?

作者にその意図が無かったとしても、読んでいる自分には、震災の事を思い起こさせました。



蓮花は被災した人々を、嘉慶達は被災しなかった人々を連想させます。

災害で多くの人が亡くなって、被災した人達が沢山居て。

被災しなかった人達が被災者に何ができるか?と言われると、

精々義援金や物資を送るくらいしかできない。

現地に駆けつけたくとも、学校も仕事もある。

駆けつけた所で、何ができる訳でもない。

大きな災害が起きても、パニックを起こさず、ヤケを起こさず、

ただ自分達の日々の仕事を粛々とこなしていくだけ。

けど、それが行く行くは被災した人達の為にもなる。

そうして社会が滞りなく回っていく。

それが、被災した人にも、しなかった人にも、明日を生きていくために必要な事。大事な事









丕緒の鳥」「落照の獄」「青条の蘭」「風信」と、四編を読んでみて、

どれも架空の世界の架空の職業人を書いた物語だけど、

各々悩んだり迷ったりしながら、自分の職分を全うしようと必死に生きている姿が書かれています。

それは、架空の世界を舞台とした物語であっても、

現実の世界を生きる私たちにも共感できる、人間のドラマであり、

四編に共通するテーマのように思えました。