最近のゼアルについて



最近のゼアルに対する批判について



ちょっと気になったので。



第62話の後辺りから、こういう指摘を見かける。

「無理矢理な流れが多い」

「キャラがストーリーの都合で動いているようにみえて、感情移入できない」等。



無理矢理な流れというか、ご都合主義的な展開は、アニメ遊戯王では今に始まった事ではないはず。

なのに、そういう意見が増えてきてるのは何でなのかな?と、いろいろ考えてしまいました。



ゼアルでは、キャラクターの内面描写も、今までのシリーズの中ではより丁寧に描かれている方だと思う。

にも関わらず、感情移入しにくい、とは、どうしてなんだろう?



思い当たる事と言えば、62話の結末に原因があるのかな・・・?

遊馬が、シャークかアストラルか?という、重要な選択を迫られ葛藤するが、

シャークの伏せカードであっさり解決、というのが問題なのか?



62話の遊馬vsシャーク戦の結末には、他にも不満が多かった様です。

シャークは焦りすぎじゃないか?

他に解決策があったんじゃないか?

とか。



58話の、IV vsシャーク戦の結末に関して、IVが謝罪した事にガッカリだったという意見も。



トロンに見捨てられて絶望した結果と、

敗北の後はIIIと同じ眠りが待っていて、もう後がない事を考えると、

謝罪も仕方ないと思うけど。



悪い奴のままでいて欲しかった?

負けたら即謝ったのは許せなかった?

唐突に改心したように見えたから不評なのか?



遊馬の行動が理解出来ない、という意見が、結構多いです。

行動原理というか、なぜそこでそういう行動をとるのか?と疑問を感じる人が多い。



遊馬の場合、特定の目的の為だけにデュエルしてる訳じゃない。

アストラルの事、ハルト・カイトの事、トロン一家の事、父親の事。

いろいろ問題とか目的はあるけど、

デュエルを楽しむ事と対戦相手と仲間になる事が遊馬にとって一番重要で、

そのスタンスは第1話から変わってないと思う。



基本的に友情が一番大事な人だから、

時として突っ走りすぎてシャークを救う時に、アストラル消滅のリスクを忘れてしまうほど。

そういう未熟さ、危うさはあるけど。

そんな危なっかしい所も遊馬の個性だと思うし。

その辺が理解されないと、意味不明なキャラにみえてしまうかもしれない。



ストーリーの中で、そういうキャラの個性を描き切れていない。

思考の過程や、行動の理由をうまく表現できていない。

その辺が問題なのかな。



ストーリーを大事にしてるのに、その割には粗が目立つと言われたり。

こうしたセアルの批判の多くが、描写不足というか、

強引に思われる展開にあるように思います。



脚本家の力不足なのか、それともストーリー構成そのものに無理があるのか?

逆に、どういう展開で、どんな脚本だったら良くなるのか?

視聴者も納得する、十分な描写ができるのか?

考えると難しいですね。